着床後に出血などトラブルはあったものの、無事に胎嚢・心拍が確認できたため、治験に参加できることになりました。
BT24/6w1d
朝に診察を受けてから(前回の記事)の続きです。
病棟に移り、色々と手続きを終えたあと、まずは体重を量りました。
体重に合わせて、投与される治験薬の量が決まるからです。
その後、血圧と体温を測ってベッドで待機。
昼すぎに治験薬が準備できたようで、いよいよ点滴開始。
再び血圧、体温、酸素濃度を測定。
左腕の外側に点滴のルートをとったのですが、針が太くて痛かったです。
治験薬の投与は、最初は少量から始まり、1時間後、2時間後に増量されました。
副作用が出ないか、慎重に経過を観るためだと思います。
血圧、体温、酸素濃度の測定も、小刻みに行われました。
血圧と酸素濃度は正常、体温は投与前から微熱が続いていました。
普段体温を測らないので比べられませんが、妊娠中であることとホルモン補充をしていることが関係しているかもしれません。
点滴が終わる少し前に、今朝診察をしてくれた担当医が病室に来てくれました。
先生はいつも穏やかな表情をされていて、顔を見るだけでなぜかとても安心します。
投与開始から約4時間後、無事に終了。
体調は特に変わりなし。
相変わらず少量の出血は続いていました。
その後回診があり、初日が終わりました。
病室は、初日だけ4人部屋でした。
治験の入院費用は製薬会社が出してくれるので、個室を希望したのですが、初日は空いていなかったのです。
出産前のお腹の大きい妊婦さんや、産後のママたちが休む部屋。
看護師さんたちが申し訳なさそうに気遣ってくれましたが、私はそこまで気になりませんでした。
これが流産直後だったら、心にグサグサ刺さるものがあっただろうと思います。
*治験薬の点滴(薬か生理食塩液か不明)
入院2日目~5日目
治験薬の投与量は、昨日の最高量で開始。
その後最後まで同じ量で続けました。
午前中に点滴が開始され、昼頃に終了。
血圧、体温、酸素濃度は定期的に測定されました。
点滴の性質上、気泡が入りやすいようで、点滴の機械がちょくちょくエラー音を鳴らし、その度に看護師さんが駆けつけてくれました。
昼から夕方の回診までは、特にすることもなく、本を読んだりテレビを見て過ごしました。
入院中は薬を全て管理されます。
慣れているので毎回薬の殻を渡すのは面倒でしたが、ヘパリンの注射を看護師さんに打ってもらえたのはありがたかったです。
私は毎回妊娠すると、比較的早い時期から悪阻が出始めるのですが、この時も入院前から既に気持ち悪さがありました。
空腹になるとひどくなるので、入院3日目に看護師さんに相談したところ、1日3食から妊婦さんたちと同じように分割食に変えてもらえました。
3食の時間は変えずに量を減らし、間食にヨーグルトやクラッカーを出してもらえるのです。
変更してもらってから随分楽になりましたが、夕食後から寝るまでにお腹が空き、お菓子を買って食べていました。
*分割にした後の食事。それでもお米が多め!
入院6日目、7日目
点滴は5日間(昨日)で終了のため、朝に血圧、体温、酸素濃度の測定を行い、その後は暇な時間を過ごしました。
入院3日目と7日目に、夫がお見舞いに来てくれました。
一緒にお昼を食べたり、コインランドリーで洗濯をしたり、院内のコンビニで買い物したり。
どこでも寝れる夫は、私の個室のソファでお昼寝もしていました。笑
特別な会話をするわけでもなく、ただ時間を過ごすだけなのに…。
一緒にいられる時間がとても幸せに感じました。
BT31/7w1d
入院して8日目、退院日の朝。
採尿と採血をした後、内診がありました。
ここで成長していなかったり、心拍が止まっているようなことがあれば、この一週間の治験は水の泡です。
避けては通らない現実に向き合うのが怖く、前日の夜からなんとも言えない不安に襲われていました。
内診は、産科の女性医師が行ってくれました。
結果、胎嚢と胎芽は無事成長し、元気な心拍も確認!
…心底、ほっとしました。
出血はもうほとんど無く、赤ちゃんがもう一人いる気配もないのこと。(着床後にもう一ヶ所胎嚢らしきものが見えていました。)
胎嚢と胎芽は小さめでしたが、週数的には問題ないようです。
今の時点で特に気になるところは無いけれど、これまでの経緯があるので、今後どうなるかはわからないと言われました。
先のことを考えると不安は尽きませんが、この瞬間は赤ちゃんが元気に成長していたことへの喜びを噛みしめようと思いました。
昼頃、実家の母が病院に到着しました。
退院時の荷物や帰宅後のご飯の用意が負担になるだろうから…と手伝いに来てくれたのです。
出産するわけでもなく、このあと流産になるかもしれないのにと思うと、新幹線を使って4時間かけて来てくれることに申し訳なく感じました。
でも、誰かに頼りたい気持ちもあり、母の気持ちをありがたく受け取ることにしました。
退院時は、入院の間ずっと励まし、応援してくれていた看護師さんたちにお礼を言って帰りました。
「きっと出産しに戻って来ますので!」
と、半分は自分に向けた言葉を残し、笑顔で病院を去りました。
結局、母がいてくれてとても助かりました。
入院の時よりもなぜか荷物が増えていたし、悪阻も少し悪化していたので、自宅まで電車を乗り継ぐのに精一杯だったからです。
季節はもうすっかり春。
入院した時に着ていたコートが、たった一週間で必要なくなっていました。
乗り継ぐ電車を待つ間、たまたま見えた桜を嬉しそうに眺めていた母の顔が、なぜか今でも頭に残っています。
その日の夜は、久しぶりに食べる母の手料理がおいしくて、いつもよりたくさん食べました。
食後の気持ち悪さもあまりなく、楽に過ごすことができました。
どれだけ大人になっても、歳をとっても、
母は母、娘は娘なのかもしれません。