*ひだまり妊活日記*

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不妊症&不育症治療と8度の流産を乗り越えた七転八起な日々の記録

母の出産

 

 

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36年前の雪の降る日、私は父と母の子供としてこの世に生を受けました。


そして1つ下と5つ下に妹が生まれ、3人姉妹の長女となりました。


両親からは、3人とも特に苦労せず授かることができ、大きなトラブルなく出産したと聞いていました。


これまで当時のことをあまり詳しく聞く機会がなかったのですが、2ヶ月後に出産を控え、ふと自分が生まれた時のことを聞いてみたくなりました。

 

 

 

当時としては結婚が遅かった母は、29歳で結婚してすぐに私を授かり、順調な妊娠生活を送ったとのこと。

当時は30才以上の初産が『高齢出産』とされていて、どうしても29歳のうちに出産したかったそう。

希望通り30歳の誕生日目前に出産予定だったのに、その日を過ぎても産まれる気配がなくて焦ったそうです。

「もういつ産まれても大丈夫だけど、いつ頃産みたい?」と先生に聞かれ、「誕生日までには産みたい」と答えた母。

それに合わせてなんらかの処置をほどこしてもらったそうです。


念願叶い、母が30歳になる2日前に、私は産声をあげました。

 

 

現在は、高齢出産とされる年齢が35才以上に引き上げられましたが、私は今年36才のため高齢出産となります。

でも、無事に出産できるなら世間的にどう言われようが全く気になりません。

性別に関しても、元気に生まれてくれるならどちらでもいいと思っています。

 

よく「◯才までに生みたかった」とか「◯月生まれがよかった」、「女の子がほしかった」という声を耳にしますが、妊娠が順調であればあるほど、それ相応の欲が出てくるのかもしれませんね。

 

 


そして、私の誕生から11ヶ月後。

年子の妹が誕生しました。

出産のスパン短かっ!

なんて羨ましい妊娠率!!

「2人目は産道ができているので安産になりやすい」とよく聞きますが、まさにその言葉通り。

とてもスムーズな出産だったそうです。

 

 

そしてそれから3年半後。

末っ子の妹が生まれました。

末っ子がお腹にいる時、私たち2人は遊びたい盛り。

母は自分の身体を気遣う余裕もなく動き回っていたそう。

もともと体育会系でアクティブな母は、家族旅行でスキーに行った際、妊娠8ヶ月にもかかわらず滑っていたそうです。

それを聞いて思わず「嘘でしょー?!」と驚き笑ってしまいました。

歩くことも制限されている今の私からしたら、考えられません。


末っ子はお腹の中で元気に母を蹴りまくっていたようで、産まれてくるまで男の子だろうと言われていました。

挙げ句の果てに逆子で出産。

今なら逆子は帝王切開になることも多いですが、自然分娩で安産だったようです。

 

 


そんな母は、まさか自分の娘が妊娠でこんなに苦労することになるとは思ってもみなかったはず。


自然妊娠できないとわかり、高度不妊治療をすることになり、流産を繰り返し、いざ成功したかと思えば切迫早産で絶対安静…。


自分の出産では感じることのなかった不安を、今更経験させてしまうことに。

 

母のようになんの苦労もなく妊娠し、順調に出産することは、当時としては普通のことだったのだと思います。

時代が変わり、晩婚化や生活環境の変化に伴い妊娠や出産が困難になる人が増えているとは言え…

いわゆる『ハッピーマタニティーライフ』とは無縁の生活を送る私にとって、その『普通のこと』がとても羨ましく感じます。

 

 

65才になってもあり余るほどのエネルギーを持つ母は、私の代わりにベビー用品を揃えたり、料理を作って送ってくれたりします。


実家の近くに住む祖父母にご飯を届けたり病院に付き添ったり、週の半分以上はミニバスのコーチとして子供たちとコートを走り、毎日忙しい母。

少しは休んでほしいと思うのですが…。


元気なうちは頼れるだけ頼ろうと思っています。

 

 

 

実家から私の住む街まで、新幹線を使っても片道4時間かかるのに、心配になるとすぐに「そっちに行こうか?」と口走る母。


「今は大丈夫だから出産する時に来てほしい」と伝えているのに、電話口ではいつもそわそわ。


私も子供が生まれたら、その気持ちがわかるようになるのかな。

 

無事に孫を抱かせてあげることだけが、今の私にできる親孝行だと思って、ひたすら安静に過ごそうとがんばる今日この頃です。

 

 

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