都内の病院に治験の説明を聞きに行ったのは、昨年(2018年)の年末。
次の移植は翌年に入ってから行う予定でした。
1月の生理が正月休みにかぶったら、移植は2月になるので、流産の手術から2周期も空けることになります。
年明けは毎年初詣に行ったり厄払いをしていましたが、来年こそはこれまでと違った一年にしたいという思いが強く、年内にできることはないかと考えました。
そこで思いついたのが『 水子供養 』
流産を8度も経験したのに、これまで一度も供養したことはありませんでした。
水子供養について調べると、供養する赤ちゃん1人ずつに対してお布施が必要のよう。(当たり前のことかもしれませんが、知りませんでした。)
8人分もの料金を出せる余裕はなく…。
「こういうのは気持ちの問題だよ。」という夫の言葉で、1人分のお布施で供養を行なってもらうことにしました。
関東にある有名なお寺をいくつか調べましたが、結局選んだのは最寄駅から3駅隣りにある、こじんまりとしたお寺。
水子供養専門というわけではないようですが、水子供養についてHPに詳しい説明が書かれており、電話での問い合わせにも丁寧に対応していただいたので、そちらに伺うことに決めました。
お寺によっては合同供養を行うところもあるようですが、こちらではひと家族ごとに行なってもらえるという点にも惹かれました。
受付を済ませ待合所で待っていると、僧侶が来られ本堂に案内されました。
僧侶の読経が始まり、目を閉じて手を合わせました。
最初は穏やかな気持ちで聞いていたのですが、ふと、不妊治療を始めてから今日までの日々が走馬灯のように頭に浮かびました。
最初から危うい経過で流産になった時もあれば、順調だったのに突然心拍が止まってしまった時もありました。
動きすぎかストレスによる進行流産も経験しました。
原因はどうであれ、私たちの子供としてこの世に生を受ける可能性のあった赤ちゃんたち…。
自分を責めてしまいそうで、流産の後はあえて考えないように過ごしてきました。
しかし、この時は心の底から
“生んであげられなくてごめんね”
という気持ちが、涙と一緒に溢れてきました。
読経が終わり、僧侶から説教がありました。
法要をしてくださった僧侶は、流産を経験した人にしかわからない悲しみを隅々まで知り尽くしているかの様な方でした。
目を見て訴えかける心のこもった言葉の数々に、再び涙がこみ上げました。
治療を始めた頃に比べると治療や流産に対する辛さにも慣れてきて、どんな結果でもある程度冷静に受け止めれるようになったと思っていました。
でも本当は、色々な想いを心の奥底に溜め込んでいたのかもしれません。
心安らかになる静かな場所で、私たち夫婦だけで亡くなった赤ちゃんと向き合う時間がもてたことは、とても大きな意味がありました。
法要が終わると、外にある水子地蔵尊に水子卒塔婆をお供えしました。
晴れた空の下、生まれることのなかった赤ちゃんが天国に無事たどり着けますように、とふたりで手を合わせました。
「いつでもお参りにいらしてください。」
僧侶に見送ってもらい、私たちはお寺を後にしました。
赤ちゃんを供養するためにここに来たはずなのに、帰る頃には私の心まで癒されていました。
今振り返ると、治験という新たなステップに向かう私たちにとって、心を整理するための大切な一日だったように感じます。