*ひだまり妊活日記*

*ひだまり妊活日記*

不妊症&不育症治療と8度の流産を乗り越えた七転八起な日々の記録

性別判明

 

 

絶対安静の指示が出て以降、自宅で横になる日々が続いていました。

動かないせいで身体が疲れず、夜の寝つきが悪くなりました。


また、前回の受診前ぐらいから、たまにお腹が硬く感じたり、突っ張ったりすることがありました。

これがいわゆる『張り』なのか…?

よくわからずに過ごしていました。

 

 

21wに入った日の夜、ひどい下痢と吐き気に襲われました。

腹痛もあり、冷や汗も出る状態。

食あたりのような感覚で、排便時に出血もあり、夜中に何度もトイレへ駆け込みました。

“赤ちゃん大丈夫かな…”

“お腹に力を入れたことで、子宮頸管が短くなっていないだろうか…”

身体の辛さとともに不安が募る一方。


翌朝念のため担当のCRCさんに連絡。

すぐに先生に伝えていただき、症状が続くようなら受診するようにと言われました。

午前中しっかり水分を摂りつつ様子を見ていると、落ち着いてきたので結局受診はしませんでした。

赤ちゃんへの影響が心配でしたが、胎動を感じられたので少し安心しました。

 

 

21w4d

体調はすっかり良くなっていました。

この日は平日でしたが、今回も夫が有給をとってくれたので、夫の運転で病院へ。


腹部エコーの結果、心臓は正常に動いていて、赤ちゃんも順調でした。

よかった!!

 

先生が「性別って伝えましたっけ?」と質問。

「まだです…」

と答えながら、急に緊張感が走りました。

6ヶ月に入ったのでそろそろわかる頃かな?と思い、心の準備はしていたのですが、その場になってみるとものすごい事実を知らされるような感覚でした。


「性別は……男の子ですね。ついてます!」


男の子!!! 

 

聞いた瞬間夫と目が合い、なぜか感極まって泣けてきました。

不妊治療の期間が長く何度も流産を経験したせいか、私も夫も赤ちゃんの性別にこだわりはなく、健康に産まれてくれたらそれでいいと思っていました。

でも性別を聞いた瞬間、まだまだ小さい赤ちゃんが生命として認められ、『ひとりの人』なんだという実感が湧いてきたのです。

「そっかぁ、男の子かぁ!」

先生の前で何度も繰り返してしまいました。


その後、内診室で経腟エコーを行いました。

4日前の腹痛と下痢が影響していないか心配でしたが、子宮頸管長は25mmと変わらずでした。

入院は必要なく、このまま絶対安静を続けるようにと言われました。

 

診察室に戻ると、前から気になっていたことを質問。

「私は子宮頸管無力症なんでしょうか?」

子宮頸管無力症とは、痛みなどの自覚症状を伴わずに子宮口が開きやすい状態になること。

原因は、過去に子宮の手術をした場合は影響するとも言われていますが、それ以外ははっきりとはわかっていません。先天的な要素が大きいようです。

流産・早産を予防するために、子宮頸管(子宮の出口)を縫う手術が必要になる場合もあります。

そして、残念ながら次の出産でも同じ状況になりやすいそうです。

 

先生からの答えは、「なんとも言えない」でした。

この診断はとても難しいようです。

ただ、私の場合は頸管が短いけれど長さが保たれているので、もし無力症だったとしても軽めだそうです。

重度の人は、頸管がどんどん短くなってくるらしいのです。

診断がどうであれ、子宮の出口が柔らかいことに変わりはないので、今後も油断はできないと言われました。


また、ここ最近お腹が硬くなる(おそらく張っている)ことがあったので、張り止めは必要ないか聞いてみました。

我慢できないわけではなく、赤ちゃんに影響しないか気になったのです。

結果、必要ないとの返答。

エコーで見た限り張りはひどくないらしく、またこの病院はあまり張り止めを勧めていないようでした。

「飲み薬は成分の量が少なく効果が弱いので、薬を飲んでも張る人は張るし、その割に副作用が出てしまうことも多い。」とのこと。

張りがひどくリスクが高い人は、入院をして点滴で対処しているのだそうです。

先生の説明に納得。

張る時間は短いし、張ったら体勢を変えるなどして様子を見ればいいやと思いました。

 

 

帰りの車の中、家族にLINEで「男の子だったよ!」と報告しました。

これまで私のトラブル続きな経過に心配かけてばかりでしたが、この時ばかりは喜びのメールが返ってきました。

妹からはすぐ電話がかかってきて、「なんか自分の時よりも感動して泣けてきたーー!」

と興奮状態。

ありがとう、ずっと心配してくれてたもんね。

 

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幸せな気分に浸っていられたのは束の間でした。

この日から13日後(23w3d)の夜間に緊急事態が起こり、しばらく入院することになったのです。


その時の記事はこちらをご覧ください↓↓↓

入院以降の経過は、『現在の妊娠生活』のカテゴリーの、この記事の続きに記載しています。

 

 

このブログを始めたのが2019年6月25日。

自宅で絶対安静と言われ、時間を持て余していた時、これまでの不妊治療の記録をブログに書こうと思い立ちました。


過去の不妊治療の記録とともに、その頃から『現在の妊娠生活』としてちょこちょこリアルタイムの記事を書いていたのですが、今回でようやくたどり着きました。


なんとか毎日更新を続け、気づくと100記事を超えていました。

私のつたない文章を読んでくださった方々には、本当に本当に感謝しています。

私の高度不妊治療や不育症治療、流産、治験に参加した経験が、ほんの少しでもどなたかの心に響いてくれることを願っています。

 

 

今回で不妊治療のグループは退会します。

出産までの残り少ない期間、ベビー待ちなどのグループで『現在の妊娠生活』を書いていけたらと思っています。

今後はゆったりペースで更新する予定ですが、引き続き覗いていただけると嬉しいです。

 

 

 

自宅で絶対安静に…

 

 

子宮頸管が保たれていたため、週5日勤務に戻って2週間。

先生から無理しないようにと言われたにも関わらず、仕事を頑張ってしまいました。


この頃から、お腹にピクピクッと痙攣のような胎動を感じるようになり、赤ちゃんの成長に対する不安は徐々に軽減してきました。

 

 

18w4d

2週間後。

この日から看護師さんにより、腹囲・子宮底長の測定と、浮腫みのチェックも開始。

あくまで目安のようで、特に何も指摘されず。


腹部エコーの結果、赤ちゃんの成長は順調で、心臓の動きや羊水量も問題なし。


そして最後に経腟エコー。

問題の子宮頸管長は…24mm!!

前々回よりも短くなっていました…。


ショックというより、“やってしまった~”という気持ち。

案の定、先生から仕事NGが出ました。

「出産まで復帰はできないと思ってください。」

恐れていたことが起こってしまった…。


とりあえず経過を観たいので、1週間後にもう一度来るように、とのこと。

経過次第では入院や手術もありえると言われました。

「家ではできるだけ動かず安静に。休日の外出も避けてください。」

と忠告されました。

 

上司に現状を伝え、この日から傷病休暇をいただくことになりました。

 

 

19w4d

1週間後。

夫に有給をとってもらい、一緒に受診しました。

妊婦健診は先週行ったため、今回は経腟エコーのみ。

入院や手術になるかもしれない不安もあり、緊張しながら内診台へ。


エコーの結果、子宮頸管長は25mm。

とりあえず現状維持でした。

短くなっていなくてほっとしました。


診察室で、先生から現状の説明。

入院の一歩手前の状態だけれど、今の段階では入院はしなくて大丈夫、とのこと。

あと1ヶ月頸管長の長さが変わらなければ、手術は必要ないと言われました。

「絶対安静は辛いと思うけれど、今何かあっても赤ちゃんを助けられないので、頑張って続けてください。」

「30週を超えると、万が一赤ちゃんが出てきてしまっても対処できるので、まずはそれまでを目標に安静にしましょう。」

先生の話を聞き、赤ちゃんが危険になることだけは避けなければ!と気を引き締めました。


隣で聞いていた夫が、「絶対安静とは具体的にどうしたらいいですか?」と質問。

先生が具体例を出して教えてくれました。

  • 基本、トイレ、シャワー以外は横になる。
  • 重力がかからない方がいいので、座る体勢よりも極力寝るように。
  • 料理は立っている時間が長いのでNG。レンジで温めるぐらいならOK。 
  • 洗濯物を干すのは、かがんだり上を向いたりを繰り返すのでNG。
  • 通院は電車やバスは避けてほしい。しばらくは車で横になって来てください。


そして、「もし旦那さんが家事をするのが大変なら、希望すれば入院することもできます。」と言われました。

夫は迷わず、「大丈夫です。」と返答。

産後の予行練習のためにも、今から自分も家事に慣れたいと言ってくれました。


この日から今現在まで、夫は週2回の洗濯とゴミ出し、洗い物、休日の食事作りを続けてくれています。

(平日の夜ご飯は宅配弁当です。)

本当に感謝、感謝です。

 

それ以外に相談したことは、便秘と体重管理について。

絶対安静により便秘が悪化したため、便秘薬を処方してもらうことに。

また、寝たきりで体重が増えやすいことに関しては、もともと痩せ型なのでこの際気にしなくていいとのこと。

 

 

悪阻が落ち着いて、ようやくマタニティライフを楽しめると思っていたのに、まさかの展開になりました。

夫に負担をかけ、仕事もこんな形で休職することになり、悲しいやら情けないやら…。

でも全ては無事に赤ちゃんを産むため。

不妊治療とは違ってゴールが決まっている分、耐えられるはず。

 

ここから長い絶対安静の生活が始まりました。

 

 

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初めての妊婦健診

 

 

無事、不妊治療の医院を卒業し、その後は治験を行った都内の病院の産科外来のみの受診となりました。

 

 

これまでの記事に書き忘れていたのですが、不育症の治験に参加した場合、基本的にはその病院で出産しなければいけません。

出産や死産、流産の状況も、治験のデータとして記録されるからです。


私は他の産院を選べないことに、特に抵抗はありませんでした。

なぜなら、こちらの病院は妊娠までの経緯を把握してくれているし、大学病院のため緊急事態にも対応してもらえるからです。

また、産科の看護師さんや助産師さんたちがとても優しく、意識やモチベーションの高さを感じたのも理由のひとつです。

むしろ、この病院で産めることに安心感すらありました。


しかし、自宅から産院が遠いというのは、想像以上に大変でした。

妊娠中にトラブルがあり緊急で受診したい場合や、破水が起こった際には、距離の遠さが障害となります。

それに、当初はまさか通院回数がこんなにも増え、タクシーを使って来ることになるとは思いもせず…。


『産院は近いに越したことはない』

出産を控えた今、しみじみ感じています。

 

 

妊婦健診について簡単に記載します。

妊娠初期~6ヶ月までは4週に1回、7ヶ月~9ヶ月までは2週に1回、10ヶ月に入ると週に1回の受診が必要です。

母子手帳をもらった際についてきた、妊婦健診の助成券が使用できます。

妊娠月数や検査項目に合わせて使用できる券が決まっていて、その金額がお会計から差し引かれるのです。


〈妊婦健診で毎回行うこと〉

⚫︎採尿→尿糖、尿蛋白の検査

⚫︎体重/血圧測定

⚫︎腹囲/子宮底長測定/足の浮腫みチェック

⚫︎超音波検査


これに、週数に応じて採血やおりもの検査などが加わることもあります。

 

 

12w4d

この日から妊婦健診が始まりました。

まだ初期だったので、腹囲や子宮底長の測定、腹部エコーは無し。

この頃悪阻がピークとなり、まともに食べれず吐くこともあったので、体重が2kg減っていました。


経腟エコーの結果、胎児の大きさも心拍も特に問題なし。

胎児の浮腫みは見られないとのこと。

始めて胎嚢の隣に白っぽく映る胎盤が見えました。

もう1つの胎嚢は、まだしぶとく残っていました。


内診室と診察室は壁を隔てているのですが、診察室にもモニターがついていて、付き添いの夫にも経腟エコーで映された赤ちゃんの様子を見てもらうことができました。

これまで白黒のエコー写真でしか見せることができなかったので、動いている様子を見てもらえたことが嬉しかったです。

 

 

14w4d

この日もまだ、腹囲や子宮底長の測定、腹部エコーは行わず。


経腟エコーの結果、胎児の大きさも心拍も特に問題なし。

心臓は4つ部屋があるし、浮腫みも見られないとのこと。

赤ちゃんは順調でした。


しかし、この日始めて子宮の出口の長さが短いと指摘あり。

測定結果は28mm。

今後も変わらなければ大丈夫だけれど、もし短くなっていくようなら入院や手術が必要になるとのこと。

予想外の指摘に困惑しました。


また、前回の採血結果で、風疹の抗体が低いとのこと。

出産したらワクチンを打った方がいいと言われました。

“え…?結婚前にワクチン打ったのに?!”

驚いて先生に聞いてみると、ワクチンを打っても抗体がつきにくい場合があるらしいのです。

知らなかった…。

外出する時は気をつけなければと思いました。


『一難去ってまた一難』とは、こういうことを指すのでしょうか。

ダブルパンチを食らった気分。

やっと普通の妊婦として過ごせると思っていたのに、甘くなかった…泣

 


上司に子宮頸管長のことを伝えて相談し、とりあえず次回の受診までの2週間は、週3日の勤務に減らしてもらうことになりました。


そしてできるだけ立ち仕事を避け、身体に負担にならないよう自分でも意識しました。

 

 

16w4d

この時期からは経腟エコーだと赤ちゃんが見づらくなるようで、腹部エコーが始まりました。


診察室のベッドに仰向けになるようにと言われ、お腹にジェルを塗り、プローブをあてられました。

念願の腹部エコーにワクワク。

モニターに映し出された赤ちゃんは、元気に動いていました。

心臓は4つの部屋がうまく機能し、収縮と拡張を繰り返しながら血液を送り出す様子までしっかりと見えました。

羊水の量も問題ないとのこと。


先生がモニターの映像を見て説明しながら、頭の長さ(横幅)、お腹の周囲の長さ、太ももの長さを測定。

この3ヶ所を測ることで、自動的に推定体重が計算されるのです。

体重は週数相当で、順調に成長していました。


腹部エコーは経腟エコーと違って痛みがなく、お腹の赤ちゃんをそのまま見れる感じがして、とても感動しました。

 

 

そして、次に経腟エコー。

前回指摘された子宮頸管長の測定です。

これまで不妊治療で感じていた内診台でのヒヤヒヤとは別の緊張感。

入院も手術も覚悟して来たのですが…


測定結果は30mm。

“あれ?長くなってる!?”


測り方で多少ずれることはあるけれど、今のところ問題なさそうと言われました。

ただ、一度短くなったら伸びることはなく、前回の長さまではすぐに短くなる(開いてくる)とのこと。

とりあえず入院を免れ、ほっとしました。


診察室で先生に今後の生活について相談しました。

仕事に関しては、次回の受診までの2週間はもとの週5日勤務に戻し、次回の結果で今後のことを考えることになりました。

仕事中は無理をせず、休日はできるだけ外出を控えるようにと言われました。

 

 

子宮頸管長が保たれていたことに安心し、勤務体制も元に戻り、ようやく悪阻も落ち着いてきて…。

いつのまにかやる気スイッチがONになっていました。

これまで職場に迷惑をかけて申し訳なく思っていた私は、先生の忠告を深く考えず、この2週間でまた仕事を頑張りだしてしまったのです。


結局それが裏目に出て、再び迷惑をかけてしまう結果に…。

次回に続きます。

 

 

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9回目の着床と経過 ⑤ → 恵愛医院卒業

 

 

BT54/10w4d:治験の病院

今回から産科外来へ。

今後は退院時に診察していただいた女性医師に診てもらうことになっていました。


緊張しながら内診台に座ると、

「太もものあざが痛々しいですね~!痒くないですか?」

と驚かれました。

ヘパリン注射の影響です。

打つ場所によっては、殴られたような青あざになります。


先生が代わって慣れないせいか、内診の痛みを感じながら、モニターを確認。

今回も無事、元気な心音が聞けました!

心拍 :191bpm

胎児 : 37.9mm

週数的にちょうどいいとのこと。

まずはひと安心。


またしても胎嚢が長細く、赤ちゃんが窮屈そう。

先生に大丈夫か聞いてみると、エコーの角度を変えて、胎嚢に充分なスペースがあると教えてくれました。

「こういうケース、けっこう多いんですよね。赤ちゃんは隅っこが好きみたい!」

形よりも余白があることがポイントなんですね。


今のところ赤ちゃんに浮腫みは見られず、子宮内に目立った出血も無いとのこと。

ようやく安定してきました。

 

先生は明るくハキハキした方で、話していると自分までポジティブになれます。

私はこれまでの流産の経験から、内診台に座ると必ず「駄目でした」と言われて頭が真っ白になる場面がフラッシュバックしていたのですが、先生のおかげで今ではそのトラウマも消え去りました。


診察室に戻ると、先生から

「ここまできたのでもう母子手帳をもらってもいいと思いますが、どうしますか?不安ならまだ先でもいいですよ?」

と言われました。

「2日後に恵愛医院を受診予定なので、そこで大丈夫だったらもらいに行きます。」

と返答。

 


その後、別の部屋で看護師さんから母子手帳や出産までのスケジュール、母親学級などの説明を聞きました。

いただいた『妊婦健診・出産のご案内』の冊子は簡易な物でしたが、私にとっては何よりのご褒美でした。

 

 

BT56/10w6d:恵愛医院

2日後の土曜日。

いつもの院長先生だったのに、この日も内診で痛みを感じました。

子宮が大きくなってきたせい…?


そして、モニターを見た瞬間、赤ちゃんが驚くほどグルグルと動く様子がわかりました。

思わず、「動いてる!」と口に出す私。

「元気に動いていますね。こんなに小さいのに結構動くんですよね!かわいいですねー!」

いつも落ち着いている先生が、こんな風に嬉しそうに話すところを始めて聞き、これまでに味わったことのない幸せな気持ちが込み上げました。

先生は、ここが手で、ここが足で…とモニターを指しながら、いつもより時間をかけて説明してくれました。

まさか指まで見えるとは思わず、成長具合に感動。

大きさも44.3mmと順調だそうです。

 


内診室にいる時間が長かったため、夫が待合室で不安そうな表情を浮かべていました。

これまで何度も私の口から「駄目だった…」というセリフを聞いてきた夫。

不安にさせてごめんね。

周りの人に気づかれないよう、膝の横でピースサインを作りました。


診察室では、卒業後も継続してバイアスピリンとヘパリンの注射を処方してもらえるか確認。(出産予定の都内の病院では自費になるらしい)

処方箋の受け取りは代理でもいいそうなので、一ヶ月に一回、夫が通院してくれることに。

問題なければ次回で卒業と言われ、それまでに紹介状を準備していただけることになりました。

 

 

ようやく恵愛医院で、念願だった『9週の壁』を越えることができました。

ただ、これまで都内の病院と並行して受診していたので、次回の診察まで一週間も空くのは久しぶり。

気を緩めないように過ごそうと思いました。

 


10週を過ぎたあたりには、ずっと続いていた出血も治まりました。

それと同時にさらに悪阻が悪化。

料理ができずに宅配弁当に頼ることに。

栄養が摂れるし、夫のご飯も気にしなくていいので、一石二鳥でした。

 

 

BT63/11w6d:恵愛医院

一週間後の土曜日。

“大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョーブ!”と呪文を唱えるように呟きながら内診室へ。

エコーが入り、前回よりも強い痛みを感じながら、恐る恐るモニターを確認。


赤ちゃんは無事でした!

58.2mmと順調に成長し、この日も手足を動かしていました。

最初は米粒みたいだった胎芽は、もうしっかりと人間の形になっていて、目や鼻の位置までわかりました。


もう1つの胎嚢はまだ残っているようでしたが、心配ないとのこと。

赤ちゃんに浮腫みなどの異常も見られない様子。

「安定期はまだ先ですが、ここまで来たら流産の確率はぐっと減りますからね。」

「出産まで大変と思いますが、頑張ってください。」

そう言われ、涙を堪えながら二人で先生にありったけの想いを込めて感謝の言葉を伝えました。


先生には感謝してもしきれません。

これだけたくさんの患者さんがいるなら、診察が多少流れ作業になってもおかしくないはず。

でも、先生は一切そんな素振りを見せませんでした。

『それぞれの夫婦に正面から向き合い、喜びや痛みを受け止める。』

『一組一組の夫婦の成功を心から望み、全力で治療する。』

先生のそういった姿勢が、流産を繰り返す私たちの背中を押し続けてくれたのです。


最後に処置室で、

『妊娠おめでとうございます』

と書いた用紙を受け取りました。

対応してくれたのは、なかなか成功しない私をいつも気にかけ、流産の手術の時にも側で励ましてくれたベテラン看護師さん。

顔を見た瞬間に、我慢していた涙が溢れ、思わず抱きついてしまいました。

気づくと看護師さんももらい泣き。

「よく頑張ったねー!あぁ、母親のような気持ちだわ!」

と言って喜んでくれました。

 

 

医院を去る時、約4年半に渡る不妊治療からようやく卒業するのだと実感しました。

ゴールはまだまだ先ですが…。


ふたりで選んで進んできた道。

ふたりで落ち込み、乗り越えてきた日々。


結婚してすぐに妊娠していたら全く別のものになっていたはずの4年半は、私たち夫婦にとってかけがえのない宝物となりました。


この4年半で夫婦の絆はより強くなり、きっとこれからの人生の励みにもなるだろうと信じています。

 

 

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9回目の着床と経過 ④ (退院後の続き)

 

 

不育症の治験に参加した病院を退院してから4日後。

恵愛医院の受診を翌日に控えた金曜日。

午前中に赤い出血がありました。

量は少なかったものの、子宮に違和感があり、とても不安になりました。

上司に話して早退させてもらい、その日は自宅で安静にしました。

 

 

BT36/7w6d:恵愛医院

翌日の土曜日。

前日の出血はその後落ち着きましたが、ヒヤヒヤしながら受診しました。


内診の結果、子宮内に出血が見られるものの、赤ちゃんは順調とのこと。

13mmの胎芽と元気な心拍が確認できました。


そして驚いたのが、なんともう1ヶ所心拍が見えたのです!!

着床後、別の部分に胎嚢らしきものが見えてはいたのですが、治験の病院を退院する時にはもう見えなくなっていたし、おそらく出血だったんだろうということで納得していました。


まさか、ここにきて復活?!

…と思いきや、胎芽は3mmと小さく、成長が遅すぎるのでおそらく異常がある、とのこと。

いずれ吸収される可能性が高いけれど、もしかしたら出血するかもしれないと言われました。

順調な方の赤ちゃんに影響することは無いようなので、安心しました。


イレギュラーなことばかり起こる私。

いつになったら心に安定が訪れるのか…。


こちらの医院は基本、ウトロゲスタン膣用カプセルは6週で、エストラーナテープとルトラールは7週で終了するのですが、これまでの流産の経緯もあるため、先生と相談して10週頃まではホルモン補充を続けることになりました。

念のため、この日も黄体ホルモンの注射を打ってもらって帰りました。

 

悪阻は少しずつひどくなっていました。

空腹時や食後の気持ち悪さが悪化。

大好きな甘いものは食べたくなくなり、ニンニクや納豆、冷蔵庫の臭いも受けつけなくなりました。

生魚や生肉は、見るのも辛くなりました。

 


BT42/8w6d:恵愛医院

胎芽は22mmまで成長し、元気な心拍も確認できました。

1日1mm以上成長してくれていて嬉しく感じました。

胎嚢が平べったくて窮屈そうに見えましたが、奥行きがあるので問題ないとのこと。

これまでに、胎嚢が三日月型から成長しなかったり、胎嚢に赤ちゃんがパンパンに詰まった状態で流産になったことがあるので、胎嚢の形にはどうしても敏感になってしまいます。

先生もそれを理解した上で、「今回の状態は問題ないですよ。」と、再度教えてくれました。


気になるもう1ヶ所の心拍は、徐々に弱くなってきているとのこと。

モニターでは心拍どころか胎嚢すら目視できない状態。


子宮内の出血はだいぶ治まってきているようですが、たまに軽い生理痛のような痛みがありました。

“もう一人の赤ちゃんが流れて出てくるかもしれない”

“またひどい出血が起こるかもしれない”

そんな精神状態が影響し、より痛みを感じてしまっていたのかもしれません。


まだ少し出血が見られるためか、この日も黄体ホルモンの注射を打ってもらうことになりました。

 

 

BT45/9w2d:治験の病院

治験のスケジュールに合わせて受診。

この日は経腟エコー以外に、尿検査と採血を行いました。


3日前に恵愛医院を受診したばかりなのに、大きな不安に押しつぶされそうになりながら内診台へ。

結果、181bpmと元気な心拍を確認!

胎児のサイズが21.8mmと、3日前と変わっていませんでしたが、先生は

「小さくなることはないから大丈夫!」

と笑っていました。

測り方やエコーの角度もあるだろうし、誤差範囲なんだろうけど…いちいち心配になってしまいます。

胎嚢が丸い形に近づいていたことには、少し安心しました。


もう1ヶ所の心拍は既に見えなくなっていましたが、まだ胎嚢は残っているとのこと。

正常な方の胎児には影響しないとのことでしたが、早く吸収されてほしいと思いました。

 


そしてこの日、次回から産科外来を受診するようにと言われました。

これまでは不育症外来を受診していましたが、週数が進んできたので変更になるようです。

お腹の中で10週まで赤ちゃんを育てられたことのない私にとって、『産科』というのはまだまだふさわしくない場所のような気がしました。

それに、優しくて穏やかで不安を全て包み込んでくれるようなオーラを持つこちらの先生に診てもらえなくなるのは、とても残念でした。

でもここから先、不育症外来で新たにできる治療は無いのでしょう。


最後に先生から、

「あとは神頼みですね!」と言われました。


そうだ。神様みたいな先生でも運命はわからないんだ。

私が赤ちゃんを信じてあげなきゃ!!


先生に感謝の言葉を伝えて診察室を出ました。

 

 

BT49/9w6d:恵愛医院

ありがたいことに、赤ちゃんは順調に成長していました。

大きさは32.5mm、しっかり動く心拍も確認。

「赤ちゃんが動いているのがわかりますか?」

と言われてモニターを見てみると、手をピクピクと動かしていました。

体の形もはっきりとわかり、感動して涙が出そうになりました。

もう1つの胎嚢は徐々に小さくなっているので、このまま消えていくだろう、とのこと。


「ここまできたら、ほぼ大丈夫だと思います。」

診察室で、先生から嬉しい言葉が聞けました。

ただ、これまでも別のクリニックで同様に言われ、その後流産になった経験もあるので、まだまだ油断できません。

普通なら卒業できる週数でしたが、

「あと2週は診ましょうか。」と提案されました。

こちらの医院は成功報酬制なので、卒業のタイミングで高額を支払うことになります。

それもあって、おそらく安心できるところまでは診察していただけれるのだと思いました。


胎盤が出来てきているので、ホルモン補充はもう必要ないようでしたが、念のためあと一週間続けることになりました。

 

 

恵愛医院は基本土曜に予約していたので、毎週夫が付き添ってくれていました。

治験の病院を退院してからは、恵愛医院へ通院する際は、カーシェアで車を借りて運転してくれていました。

悪阻が辛く、たまに出血もある状態で電車の乗り換えとバスを使っての通院は、思いのほか大変だったからです。


これまでは受診のたびに何かしらの不安を持ち帰っていましたが、この日は久しぶりに経過が順調なことに安堵しました。

“きっと大丈夫。卒業できる!”

お互い口には出さなかったけれど、手応えを感じた一日でした。

 

 

次回はいよいよ、まだ超えたことのない『9週の壁』に立ち向かいます。

 

 

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33w6dの診察

 

 

先週の土曜日は、診察の日でした。


今回は妊婦健診はなく、切迫早産の経過確認のため、子宮頸管長を測るだけの診察です。

 

 

久しぶりに土曜日の受診だったため、夫の運転で都内へ向かいました。


タクシーで横になって通院するのも慣れてきたけれど、夫の運転だと車内で色々と話せるし、温度の調節してもらいやすいし、やっぱり楽だなぁと感じました。

 

 

先週の診察以降も自宅で安静にしていたので、子宮頸管長はそれほど変わらないだろうと高を括っていたのですが…。


経腟エコーの結果、なんと1cm切っていました!!泣


「子宮口、開いてきてますねー」と先生。

赤ちゃんの体重が増えてお腹が大きくなってきたので、いくら安静にしていても頸管は短くなってくるのだそう。

 

1cm以下ってまずくない??

ついに入院?!


しかし先生曰く、入院は必要ないとのこと。

「ここまで辿り着けたので、だいぶ安心しています。」と言われました。

34週を過ぎると、こちらの病院で出産することが可能だからだと思います。


今の状態を見ても、すぐに産まれるか、まだ2週間以上もつのか、判断できないとのこと。

子宮口が開いても陣痛が起こらないこともあるらしく…。

人それぞれなんだな、という印象です。

 

ただ、先生はある程度早産になることを見越している様子。

早産の場合は破水しやすいということ、陣痛がきたら比較的早く産まれてくるだろうということを説明されました。


おそらく既に赤ちゃんの器官が成熟し、早産になっても対処しやすい状態まできたのだと思います。

でも私としては、

正期産まで出てこないでー!”

という想い。

私のせいで早く産まれてしまうなんて、赤ちゃんがかわいそうだ…。

 

 

 

出産まで、早くても3週間は先だろうと余裕をかましていた私たち。

予想外に間近に迫っていると知り、急に焦り出しました。


いつ入院になってもいいよう受診のたびに持参していた入院用のバックには、帰宅後すぐに出産用の荷物を詰め直しました。

そして夫と一緒に、破水や陣痛がきた時のシミュレーション。

絶対安静が続き、まだ両親学級に参加できていないため、おそらく立ち会い出産は無理そうです。

不妊治療を始めた時からずっとずーっと側で支えてくれていた夫。

産まれる瞬間を見せてあげたかったのにな…。

 

そして、引き続き自宅で絶対安静の日々。

これまでは安静にしていることへのストレスが大きかったけれど、今度は早産になることへの不安が強まりました。

恥骨のすぐ上で、赤ちゃんが頭をグリグリ動かすと、“子宮口開くからやめて~!”と祈るような気持ちに。

食事もシャワーもできるだけ時短で行い、すぐに横になるようにしています。

 

 

次は今日から一週間後の火曜日に受診予定。

まずはその日までお腹に留まってくれますように。

 

 

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不育症の治験*入院した一週間

 

 

着床後に出血などトラブルはあったものの、無事に胎嚢・心拍が確認できたため、治験に参加できることになりました。

 

 

BT24/6w1d

朝に診察を受けてから(前回の記事)の続きです。


病棟に移り、色々と手続きを終えたあと、まずは体重を量りました。

体重に合わせて、投与される治験薬の量が決まるからです。

その後、血圧と体温を測ってベッドで待機。


昼すぎに治験薬が準備できたようで、いよいよ点滴開始。

再び血圧、体温、酸素濃度を測定。

左腕の外側に点滴のルートをとったのですが、針が太くて痛かったです。


治験薬の投与は、最初は少量から始まり、1時間後、2時間後に増量されました。

副作用が出ないか、慎重に経過を観るためだと思います。

血圧、体温、酸素濃度の測定も、小刻みに行われました。

血圧と酸素濃度は正常、体温は投与前から微熱が続いていました。

普段体温を測らないので比べられませんが、妊娠中であることとホルモン補充をしていることが関係しているかもしれません。


点滴が終わる少し前に、今朝診察をしてくれた担当医が病室に来てくれました。

先生はいつも穏やかな表情をされていて、顔を見るだけでなぜかとても安心します。


投与開始から約4時間後、無事に終了。

体調は特に変わりなし。

相変わらず少量の出血は続いていました。


その後回診があり、初日が終わりました。

 

 

病室は、初日だけ4人部屋でした。

治験の入院費用は製薬会社が出してくれるので、個室を希望したのですが、初日は空いていなかったのです。

出産前のお腹の大きい妊婦さんや、産後のママたちが休む部屋。

看護師さんたちが申し訳なさそうに気遣ってくれましたが、私はそこまで気になりませんでした。

これが流産直後だったら、心にグサグサ刺さるものがあっただろうと思います。

 

*治験薬の点滴(薬か生理食塩液か不明)

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入院2日目~5日目

治験薬の投与量は、昨日の最高量で開始。

その後最後まで同じ量で続けました。 


午前中に点滴が開始され、昼頃に終了。

血圧、体温、酸素濃度は定期的に測定されました。

点滴の性質上、気泡が入りやすいようで、点滴の機械がちょくちょくエラー音を鳴らし、その度に看護師さんが駆けつけてくれました。


昼から夕方の回診までは、特にすることもなく、本を読んだりテレビを見て過ごしました。


入院中は薬を全て管理されます。

慣れているので毎回薬の殻を渡すのは面倒でしたが、ヘパリンの注射を看護師さんに打ってもらえたのはありがたかったです。


私は毎回妊娠すると、比較的早い時期から悪阻が出始めるのですが、この時も入院前から既に気持ち悪さがありました。

空腹になるとひどくなるので、入院3日目に看護師さんに相談したところ、1日3食から妊婦さんたちと同じように分割食に変えてもらえました。

3食の時間は変えずに量を減らし、間食にヨーグルトやクラッカーを出してもらえるのです。

変更してもらってから随分楽になりましたが、夕食後から寝るまでにお腹が空き、お菓子を買って食べていました。

 

*分割にした後の食事。それでもお米が多め!

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入院6日目、7日目

点滴は5日間(昨日)で終了のため、朝に血圧、体温、酸素濃度の測定を行い、その後は暇な時間を過ごしました。

 

 

入院3日目と7日目に、夫がお見舞いに来てくれました。

一緒にお昼を食べたり、コインランドリーで洗濯をしたり、院内のコンビニで買い物したり。

どこでも寝れる夫は、私の個室のソファでお昼寝もしていました。笑


特別な会話をするわけでもなく、ただ時間を過ごすだけなのに…。

一緒にいられる時間がとても幸せに感じました。

 

 

BT31/7w1d

入院して8日目、退院日の朝。

採尿と採血をした後、内診がありました。


ここで成長していなかったり、心拍が止まっているようなことがあれば、この一週間の治験は水の泡です。

避けては通らない現実に向き合うのが怖く、前日の夜からなんとも言えない不安に襲われていました。


内診は、産科の女性医師が行ってくれました。

結果、胎嚢と胎芽は無事成長し、元気な心拍も確認!

…心底、ほっとしました。


出血はもうほとんど無く、赤ちゃんがもう一人いる気配もないのこと。(着床後にもう一ヶ所胎嚢らしきものが見えていました。)

胎嚢と胎芽は小さめでしたが、週数的には問題ないようです。

今の時点で特に気になるところは無いけれど、これまでの経緯があるので、今後どうなるかはわからないと言われました。

先のことを考えると不安は尽きませんが、この瞬間は赤ちゃんが元気に成長していたことへの喜びを噛みしめようと思いました。

 

 

昼頃、実家の母が病院に到着しました。

退院時の荷物や帰宅後のご飯の用意が負担になるだろうから…と手伝いに来てくれたのです。

出産するわけでもなく、このあと流産になるかもしれないのにと思うと、新幹線を使って4時間かけて来てくれることに申し訳なく感じました。

でも、誰かに頼りたい気持ちもあり、母の気持ちをありがたく受け取ることにしました。


退院時は、入院の間ずっと励まし、応援してくれていた看護師さんたちにお礼を言って帰りました。

「きっと出産しに戻って来ますので!」

と、半分は自分に向けた言葉を残し、笑顔で病院を去りました。

 

 

結局、母がいてくれてとても助かりました。

入院の時よりもなぜか荷物が増えていたし、悪阻も少し悪化していたので、自宅まで電車を乗り継ぐのに精一杯だったからです。


季節はもうすっかり春。

入院した時に着ていたコートが、たった一週間で必要なくなっていました。

乗り継ぐ電車を待つ間、たまたま見えた桜を嬉しそうに眺めていた母の顔が、なぜか今でも頭に残っています。

 

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その日の夜は、久しぶりに食べる母の手料理がおいしくて、いつもよりたくさん食べました。

食後の気持ち悪さもあまりなく、楽に過ごすことができました。


どれだけ大人になっても、歳をとっても、

母は母、娘は娘なのかもしれません。