移植してから判定日までの間、少しだけ気持ち悪さと熱っぽさ、下腹部のチクチク感がありました。
“着床したのかな?でも薬が原因かもしれないし…”と、うずうずしながら過ごしました。
BT10
いよいよ判定日。
夫も私も仕事だったので、夜に検査して一緒に確認することにしました。
なかなか飲み会から帰ってこない夫を待ち構え、帰ってくるなりすぐにトイレへ。
判定まで1分、時計をみながらそわそわ。
そして1分後、検査薬を手で覆い、並んで座って…
オープン!!!
目にした瞬間、同時に声が漏れました。
私「あー、だめだったね…」
夫「おぉ!薄っすら出てる!」
え??
夫の方を振り返りました。
夫「よく見てみなよ。色は薄いけど、ちゃんと出てるよ!やったねー!」
陽性の場合は終了線と同じ濃さのラインが出るかと思っていたので、見た瞬間はがっかりしたけれど、よく見ると確かにうすーく出ていました。
想像以上に喜ぶ夫の顔を見て、徐々に嬉しさが込み上げてきました。
翌日(BT11)予定通りクリニックへ。
先生に陽性反応が出たと伝えると
「おめでとうございます!」
「今日が4w2dとなりますね!」
と満面の笑顔。
いつも淡々としている先生なので、ギャップ効果に嬉しさもひとしおでした。
週数的に、まだエコーしても映らないとのことで、この日は薬だけもらいました。
ホルモン補充は9週まで続けて終了とのこと。
まだまだ続く注射に嫌気がさしたけれど、これも赤ちゃんのためだ、と割り切れました。
この時、私は31才。
年齢的に、体外受精をすればすぐ妊娠して出産できる確率が高いと聞いていました。
“体外受精がんばって良かった~!”
と、すでにゴールした気分になり、その後の経過に対して1ミリの不安もありませんでした。
次の診察はBT18 /5w2d
相変わらず痛すぎるエコーも、なぜか我慢できるようになっていました。
子宮内に胎嚢が確認でき、いよいよ現実感。
次は心拍が見える頃に受診となりました。
連日の注射でお尻が硬くなり、注射を打つ時に痛みが強くなっていたため、看護師さんに相談。
打つ場所をずらしたり、注射後によく揉むようにと指導されました。
BT 29/6w6 d
心拍が見えるのを楽しみに楽しみに、この日を迎えました。
夫も仕事を早く切り上げて合流。
内診台でエコーを挿入され、モニターに平べったい胎嚢が映りました。
(…といっても、この時の私は普通の胎嚢の形がどんなものか知りませんでした。)
“心臓、動いてるかな??”
ワクワクしながら先生の言葉を待ちました。
無言が続く…
嫌な予感。
動悸がするのを感じました。
「心拍が見えない。もうそろそろ見えてもいい頃なんですけどね…」
「胎嚢も、少しは大きくなっているけど…」
と、内診台の向こうから曇った声。
頭が真っ白。
“え??赤ちゃん育ってないの?!”
想定外の状況でした。
呆然としながら内診台を降り、先生の向かいに座ったあとも、話が全く頭に入らず。
代わりに夫が真剣に聞いてくれてました。
「せっかくここまで頑張ってきたんだから、来週もう一度見てみましょう。」
先生の言葉と表情から、うまく行く可能性が極めて低いということが、ひしひしと伝わってきました。
“仕事で動きすぎたから?”
“冷たいものを飲んだから?”
自分の軽率な行動が赤ちゃんに影響してしまったのかも…と、ただひたすら自分を責めました。
“きっと来週には元気な心拍が見えるはず”
そう思いたいのに、ネガティブな想像ばかりが頭に広がりました。
「単に成長が遅いだけだよ!大丈夫!」
うろたえながらも励まそうとする夫の声。
隣に夫がいてくれたことが、せめてもの救いでした。
翌週に、再度受診することになりました。
翌週の受診の直前に、大学時代の親友の結婚式があり、京都に行く予定になっていました。
式ではスピーチも頼まれているし、何があっても行きたいと思っていました。
こんなにもやもやした状態では式に出れないと思い、7w2dの夜、自宅から3駅となりのクリニックへセカンドオピニオンを受けに行きました。
そちらの看護師さんは優しかったのですが、担当になった女医の態度が最悪でした。
あまりそういう患者がいないのか、雑にエコーされ、ここの患者じゃないから診断できない、と突き放されました。
胎嚢の形を聞いてみると
「普通はもっと丸いので、典型的ではないですね。」
と心のない答えが返ってきました。
確かに別のクリニックの患者を診断するのは難しいのかもしれません。
病院にも色々と事情があるのも理解できます。
でも。だったら…。
電話で事情を説明した時に断ってほしかった。
それに『セカンドオピニオンやってます』なんて掲げないでほしい。
行き場のない不満と悲しさに涙が溢れ、何本も電車を見送りました。
帰宅後もセカンドオピニオンに行かなければよかったと後悔したけれど、ある程度自分の中で覚悟のようなものができました。
夫に背中を押され、ほとんど成長していない赤ちゃんをお腹に残したまま、翌日から京都に出発することになります。
続きは次回へ。