*ひだまり妊活日記*

*ひだまり妊活日記*

不妊症&不育症治療と8度の流産を乗り越えた七転八起な日々の記録

友人の結婚式後、流産確定

 

 

翌日、ほとんど成長していない赤ちゃんをお腹に残したまま、京都へ向かいました。

 

挙式と披露宴に出席してそのまま一泊し、翌日は京都駅で大学時代の別の友人たちと会う約束をしていました。

 

 

一人で電車に乗っている時間はネガティブな想像ばかりしていましたが、到着して懐かしい顔ぶれと再会すると、すぐに気持ちがパァッと明るくなりました。

友人たちとは一年前の自分の挙式以来の再会です。 

 

総勢8名の大所帯だったので、集まると賑やかで、気づいたら久々に心から笑っている自分がいました。 

 

 

 

挙式の前に、ふいにある友人から、

「fuuのところはまだ子供作らんの?」

と聞かれました。

今の状況を話すつもりありませんでしたが、急な質問に少しうろたえてしまいました。

「…そうやなー、うちはまだいいかな!」

ニシャッと笑い、なんとかそう答えました。

 

その友人は20代で結婚し、その時既に子供も2人いました。

子供ができない夫婦、事情があって子供を作れない夫婦、そんな事情を抱えている人が周りにいないんだろうな…と感じてしまいました。

 

 

披露宴の最中に、別の友人から

「あれ?お酒飲まんの?」

と声をかけられました。

もともとお酒大好きな私が、ジュースばかり飲んでいたことに気づいたのです。

「スピーチもあるし、今日はやめとくわー笑」

そうは言ったものの、その友人は何かを感じとってくれました。

 

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披露宴が終わりホテルに戻ったあと、さっき声をかけてくれた友人に話をしました。

 

その友人とは大学卒業後も連絡を取り合い、心の内を話し合える関係です。

ただ、その友人は卒業して一年後に授かり婚をし、まだやりたいことがあったのに…と妊娠を悔やんでいた過去があったため、私の状況をどう思うだろうと不安でした。

 

自然妊娠ができないとわかったこと、治療のこと、妊娠したこと、赤ちゃんが成長せずお腹にいること…

全てを話しました。

 

その友人は、驚きながらもしっかりと受け止め、私の体調を心配してくれました。

「私は若い頃に自分の生活を楽しむ余裕がなくて、みんなが羨ましかった。今だってふたりで好きなことを楽しんでいる夫婦に本当に憧れる。子育て以外にも幸せに過ごす方法はたくさんあると思う。でも、fuuが子供がほしくて治療を頑張るなら、応援してるからね。」

 

話を聞いて、はっとしました。

『子供をつくる』ということに考えが凝り固まり、それだけが幸せと考えていた自分に気づきました。

 

“今はまだ割り切れないけど、もし治療が上手くいかなくても、幸せの形は色々あるということを忘れない夫婦でいたい。”

改めてそう思いました。

 

おめでたい日にこんな話をするのに抵抗はありましたが、その友人に話して本当に良かったと思いました。

 

 

 

翌日、京都駅で別の友人たちと集まりました。

大学時代、バスケットボールのサークルで部活並みに汗を流した、情に厚い仲間です。

2人は子供がいて、1人は不妊治療していると聞いていました。

 

その仲間には全て話そうと決めていました。

近況を報告し合う中、私の番になり落ち着いて話し始めたのですが…

気がづくと、みんな泣いていたのです。

本人の私が一番びっくりしました。

「fuu、ほんまに頑張ってたんやなぁ…」

「赤ちゃん、まだわからんのやろ?うまくいきますようにっって、私お腹触っとく!!」

みんなの優しさに、私も涙が込み上げました。

不妊治療していた友人も、体外受精に進むか悩んでいる時だったので、不妊症のつらさを共感し合うことができました。 

 

精神面ガタガタのままやって来た京都でしたが、心強い仲間に会えたことで、

“私なら乗り切れる!”

と強くなれた気がしました。

 

 

 

BT34/7w4d

診断確定の日。夫と一緒に受診。

内診台で見るエコーの赤ちゃんは、やはり成長しておらず、もちろん心拍も確認できませんでした。

覚悟はしていたけれど、やっぱりショックでした。

「赤ちゃんの成長が止まってます。稽留流産です。」

「手術して取り出すこともできますが、内膜を傷つけるリスクもあります。赤ちゃんもまだ小さいですし、自然に出るのを待ちましょう。」

先生はいつも通り淡々としていました。

「今回は卵の染色体異常です。母体のせいではありません。」

そう言われても…

お腹にいる赤ちゃんと、毎日仕事前に神社に寄ってお祈りしてくれていた夫に、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

『流産』

TVなどで耳にしたことはありましたが、自分には一生関係ない言葉だと思っていました。

 

私はその後何度も流産しましたが、毎回言いようのない辛さを感じます。

週数が進むほど赤ちゃんへの愛着が強まり、体の負担も増えます。

 

初めての流産となったこの時は、赤ちゃんは実質5w程度までしか育っておらず、軽い負担で済みました。

それでも私にとっては、全ての流産の中で一番辛い経験として残っています。