*完全流産(進行流産)の詳細を記載した内容です。
閲覧ご注意お願いします。
クリニックで「陰性」と告げられ帰宅したあと、再度市販の検査薬を試してみました。
前日に使用したのと同じメーカーを使い、比較してみたかったのです。
結果、やはりうすーいライン。
昨日とほぼ変わらず。
“濃くなってないということは、可能性が低いということなんだろうな。”
検査薬を眺めながら先生の言葉を思い出し、自分の中でも諦めの気持ちが強まってきました。
翌日の日曜日(BT12)
夕方ごろに再度検査しました。
すでに諦めモードの私は、判定が出るまでの1分間ですらじっと待たず、部屋でせかせか動いていました。
“諦めるための最後の1回にしよう!”
そう思っていたので、全く緊張はせず。
ソファでのんびりしている夫に、
「そろそろ判定が出だと思うから見てみてー!もうライン見えなくなってる?」
と声をかけました。
「あれ?線の色が濃いよ?!」
夫の驚いた声。
???
夫に駆け寄り、検査薬を見てみると…
確かに濃い!!
明らかに濃い!!!
思わぬどんでん返しに嬉しさがこみ上げました。
“今日まで検査し続けて良かったー!”
そんな心境でした。
翌日の月曜日(BT13)
急遽出勤を遅らせてもらい、朝一番でクリニックへ。
昨日の検査薬を持参し、先生に見てもらいました。
「確かにこれは陽性ですね。」
と先生も納得。
私の諦めがつくまでの繋ぎに…と、判定日からはデュファストン錠に代えて服用していたのですが、再度ワンクリノン膣用ゲルに戻してもらいました。
黄体ホルモンが不足していないか心配で、もらってすぐに一回分使用しました。
前回の記事にも書きましたが、このタイミングで夫に異動の辞令が出ました。
一ヶ月後には転勤になるため、できるだけ早く引っ越しの段取りを整えたいところ。
週末には通院もありますが、同時に家探しもすることになりました。
BT18/5w1d
土曜日だったため夫と一緒にクリニックへ。
まだ胎嚢は見えないかもと思っていたのですが、無事確認できました。
大きさも週数相当だそう。
「これで妊娠確定です。おめでとうございます。」
と言われ、ようやくいつもと同じスタートラインに立てた気がしました。
この日の午後から翌日の日曜日にかけて、引っ越し先まで足を伸ばし、地域の環境や家賃の相場、物件の情報など、色々と調べ始めました。
私は人生で8回目、夫にとっては9回目の引っ越し。
慣れていることもあり、大変な家探しも二人でけっこう楽しみました。
そんな中、ふと違和感を感じトイレに行くと…
出血!!
これまで何度も移植しているのに、始めての出来事でした。
気温が急上昇したせいか、歩き回ったせいか…。
アスピリンを飲んでいることも影響しているのかもと思いました。
連日の行動に少し後悔しながら、その後はできるだけ身体に負担にならないよう過ごしました。
それから一週間出血が続きましたが、すぐに量が減ったので、特に受診はしませんでした。
仕事以外はできるだけ無理をせずに生活しました。
BT25/6w1d
一週間後の土曜日。夫と二人で受診。
内診で出血を確認してもらうと、すでに止まっているとのこと。
胎嚢は成長し卵黄嚢も見えました。
まだ心拍は確認できませんでしたが、週数的に順調と言われて安心しました。
今後出血が起こった時、色が赤かったり量が多かったり、痛みを伴う場合は受診するようにと言われました。
その日の午後から翌日の日曜日にかけて、再び家探しへ。
泊りがけで出向き、ようやく転居先を決めることができました。
一件落着も束の間。
この翌日の月曜日に、思わぬハプニングが起こったのです。
ET27/6w3d
朝、少し茶色のおりもののような出血あり。
気にせず仕事へ。
夕方5時頃、出血してきました。
“またこの前のような出血なのかなぁ…”
嫌な予感がしたものの、前回のようにすぐにおさまるだろうと高を括り、そのまま仕事を続けました。
仕事の都合上、座ることができず。
ですがその後、生理痛のような腹痛が徐々に強まり、“何かおかしい”と感じました。
6時頃には出血量がかなり増え、すぐにナプキンを変えなければいけない程に。
でもその時に自分が手をつけていた仕事はその日のうちに終わらせる必要があったため、無理やり意識を集中させました。
たまたまその場にいた社長(男性、40才)が私の異変に気づき、声をかけてくれました。
「ちょっと体調が悪くて…」と伝えると、すぐに早退していいと言ってくれました。
社長には不妊治療をしていることや、これまでの流産について話していたので、状況を汲み取ってくださったのだと思います。
仕事が途中になることをお詫びし、バトンタッチ。
クリニックにTELすると、すぐ来るようにと言われました。
診療時間には間に合わないと伝えましたが、先生が待っていてくれるとのこと。
無我夢中で電車に乗り、夫にメール。
その頃には出血量がどんどん増え、ナプキンでも覆いきれずスキニーパンツが血だらけに。
偶然にもスキニーパンツの色が黒だったので、ぱっと見では気づかれなかったことが不幸中の幸いでした。
結果はもうわかっていました。
それでも心臓の音が鳴り止みませんでした。
ようやくクリニックに到着し、すぐに内診台へ。
血と一緒に内容物を取り出してもらい、エコーで確認。
すでに胎嚢は流れて無くなっていました。
途中で出た感覚はなかったけど…。
処置を終えた先生から、
「今回の流産は赤ちゃんの生命力の問題。胎嚢まで見えたので、今後も期待できますよ。」
と言われ、ようやくまともに呼吸することができました。
遅い時間まで待っていてくれた先生やスタッフの方に、感謝の気持ちを伝えました。
クリニックの最寄駅に戻ると、夫がかけつけてくれていました。
驚きと心配とが入り交ざって青白い顔。
“来てくれたんだ…”
その瞬間、へなへなと全身の力が抜けました。
ひとりで戦っていたことが本当に不安で怖かったのだと気付きました。
その後は夫に支えられて電車に乗り、なんとか帰宅。
すぐに着替えてリラックスすると、ようやく今回の流産を振り返ることができました。
驚いたし大変だったけれど、これまでの稽留流産と比べて心の整理がつきやすかったように感じます。
すでにお腹から出てしまったからなのかな。
今回の流産は、胚盤胞の染色体異常が原因だった可能性が高いようですが…。
移植後はできるだけ動かないようにしようと、心に決めました。