低刺激による採卵で4個の卵子が採れ、顕微受精を行うことになりました。
体外受精でなく顕微受精をするのは、この時が初めてでした。
翌日、メールで受精結果が届きました。
緊張しながらメールを開くと…
結果は『2個』
顕微にした割に少なくて少し残念。
でも0個という可能性もあったわけなので、まずは受精してくれたことを喜ぼうと思いました。
ここから胚盤胞までたどり着く確率は、一般的には30%と言われています。
“1個残りますように…。”
と願いながら過ごしました。
採卵から10日後。
凍結結果を聞くために受診。
診察室に呼ばれ、先生から結果を伝えられました。
「最終的に胚盤胞まで残ったのは1個。」とのこと。
評価は
3AB:5日目胚(Eeva:ES-1)
でした。
「よかった~!」
思わず口から漏れてしまいました。
たった1個が、とても尊い存在に感じました。
先生から、今回の結果について詳しく説明がありました。
4個採卵できたものの2個は変性卵だったらしく、残りの2個に顕微受精を行ったとのこと。
2個とも受精は成功したけれど、そのうち1個は途中で分割が止まったそうです。
残った1個は分割スピードが速く、胚盤胞の状態も良いとのこと。
そもそも顕微受精の時点で2個からスタートだったのなら、1個胚盤胞で凍結できたというのは上出来だと感じました。
前回は1つも残らなかったので今回もあまり期待してなかったのですが、良い評価の胚盤胞が凍結できて嬉しくなりました。
そして次回の治療について。
次に生理がきたら移植周期に入れるとのこと。
しかし、ちょうど仕事が決まったところだったので、私はしばらく採卵を続けたいと考えていました。
『仕事に慣れるまでは移植後の体調を気にせずに働きたい』というのが一番の理由でしたが…。
せっかく社保加入パートになれたので、もし妊娠したら産休育休を取得したい、と希望していたことも理由の1つでした。
産休育休の取得には、『勤続1年以上』という条件がつきます。もしすぐに妊娠したら産休に入るのは約9ヶ月後。1年には届きません。
そんなにうまく進むわけないとは思いましたが、どっちにしろ採卵を続けていくつか貯卵できたら、気持ち的にも余裕が生まれそうと発想を転換したのです。
先生に採卵を続けたいと伝えると、すんなりと受け入れてくださいました。
生理がきたら受診するようにと言われ、この日は終了。
この頃、高度不妊治療を開始してから、約2年半が経過していました。
“すぐに結果を出したい”
という気持ちはいつのまにか消え、
“今の生活を大事にしながら治療を続けていきたい。その結果、いつか妊娠・出産までたどり着きたい。”
と思うようになっていました。
「年齢的に考えて、すぐに成功するはず」
治療開始当初からよく言われた言葉。
それに当てはまらなかったことが、本当に辛かった…。
でも徐々に、一般論なんて関係ないということがわかってきました。
自分という人間はたったひとり。
『この年齢の成功率』が60%だろうが70%だろうが、私自身で考えたら0か100です。
“自分は自分のペースで進むしかない”と思うようになってから、ずいぶん肩の力を抜けるようになりました。
費用の面でのストレスが減ったことも、大きな影響がありました。
再び仕事を始めて自分の収入ができたこと。
治療費は気にしなくていいと夫が言ってくれること。
そして何より、こちらの医院での『定額制』と『成功報酬制』。
色んな要因が重なったことが、より一層私の負担を減らしてくれました。
転院や仕事。
あらゆる自分の決断も間違ってなかったと感じます。
その後、仕事が始まり、退勤後に通院するというルーティーンができました。
職場から医院までは1時間ほどかかりますが、パート契約で勤務時間が短いため、以前ほど疲れずに日々を過ごすことができました。