*ひだまり妊活日記*

*ひだまり妊活日記*

不妊症&不育症治療と8度の流産を乗り越えた七転八起な日々の記録

流産後の経過と夫婦の染色体検査

 

 

手術のあと、治療は一周期おやすみになりました。


心身ともに回復させると共に、この期間に治験について夫婦で色々と調べました。


その中で、治験を行う条件の1つに、『夫婦の染色体検査で陰性であること』が含まれるとわかりました。

これまで避けてきた夫婦の染色体検査。

万が一どちらかに異常があった時に、異常があった本人が自分を責めてしまいそうな気がしていたからです。

でも治験という新たなステップに臨むために避けては通れないと知り、覚悟を決めて受けることにしました。

 

 

手術後の経過確認のため、手術から2週間後に予約を入れていましたが、それまでの間に夫婦の染色体検査を受けに行きました。

 

検査自体は採血をして終了なのですが、その前に診察室で先生から説明を聞きました。

 

  • 検査で陽性となるのは、不育症患者の約2%。
  • 以前の流産で胎児の検査をした時に異常がなかったこと、毎回流産となる週数が比較的進んでいることから、検査の結果は陰性の可能性が高い。
  • 万が一どちらかが陽性だった場合、名前を伏せて結果だけ渡すこともできる。
  • もし陽性だった場合は、着床前診断を勧める。妊娠率が上がるわけではないが、着床前に卵の異常を確認できるため、流産の回数を減らすことができる。

 

説明を聞いたあと、今後不妊治療と並行して治験を受けようと考えていることを伝えました。

先生も「良い決断ですね」と賛成してくださいました。

 

治験を行なっている病院は全国でも数えられる程度。

住んでいる県には無く、ぎりぎり自宅から通えるのが都内の3病院のみ。

先生に聞いてみると、どの病院も古くから不育症を研究している有名な病院とのこと。

どの病院を選んでも信頼できそうとわかり、安心しました。


こちらの医院の患者さんで、これまでに治験を行った方がいるか聞いたところ、なんと私たちが初めてとのこと。

希望した人は一人いたけれど、条件に合わず受けれなかったそうです。

例の少なさに驚くと同時に、“治験を紹介しなければいけないほど流産する人も珍しいんだろうな…”と感じました。


お世話になっているこちらの医院に新たなでデータを提供したい!という目標も加わり、治験に対する意欲がより一層高まりました。

 

 


流産の手術から2週間にわたり、だらだらと出血が続きました。

出血が終わった頃にちょうど経過確認の予約日となり受診しました。


エコーの結果、特に問題無いとのこと。


前回は流産後に卵巣が腫れてしまいましたが、今回は順調に回復したようです。


もともと身体は丈夫な方。

風邪を引くことは少なく、引いても一日寝れば回復します。

治療や流産で身体に負担がかかった時も、幸い比較的早く回復してくれます。

治療を始めてからも、できる限りバスケットに参加していたことが、功を奏したような気がします。

これからも流産に負けない身体を保つために、バスケを続けたいと思いました。

 

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胎児の染色体検査と、夫婦の染色体検査の結果は次回へ。

 

 

3回目の流産手術

 


流産の手術の前日、心拍の再確認と、子宮口を開く処置をするために受診しました。


前回の受診から2日しか経っていませんでしたが、この時すでに出血が始まっていました。


以前手術をした際、子宮口を開く処置が痛すぎて中断したため、今回も無理にはしないとのことでしたが、いざ内診台に上がると緊張しました。

内診してもらったところ、出血量が多く、すでに子宮口が広がってきているとのこと。

処置は必要ないでしょうと言われ、ほっとしました。


念のため行ったエコーでは、2日前と同じく心拍は見えず、胎児の大きさも変わっていませんでした。


流産を宣告されるまで血流を良くするバイアスピリンとヘパリン注射を使っていたので、手術に影響しないか気になり、先生に聞いてみました。

本当はもう少し早めに中止するのが理想だけれど、慎重に行うので大丈夫と言われ、安心しました。

 

 

夫婦で話し合った結果、今回の手術では胎児の染色体検査を行なってもらうことにしました。

前クリニックで一度検査した際は異常無しでしたが、その後の流産では行っておらず、再度調べてみたいと思ったのです。

それに、治験を受ける上でも、胎児の染色体検査の結果が必要になりそうだったからです。

 

 


手術当日。

出血量が増え、生理痛のような痛みが出てきていました。

安静室でガウンに着替えて準備。

出血のことを看護師さんに伝えると、下着を着けたまま待つように、とのこと。

しばらく待機したあと手術室へ。

今回も顔見知りの看護師さんが担当で、心強く感じました。

手術台に寝かされ、血圧計、心電図、パルスオキシメーター(血中酸素濃度&脈の測定器)をつけられ、足を固定。

 

先生を待つ間、ふと看護師さんに「手術の回数が多いと妊娠しづらくなりますかね~?」と聞いてみました。

すると、ちょうど入室されたサバサバした女医さんが、代わりに答えてくれました。

「それはないですよ。手術で妊娠しづらくなるぐらいなら、出産回数が多い人はもっとしづらいはず。手術に比べて出産はもっと子宮が傷つくからです。それに、子宮はけっこう回復しやすくできてるんですよ!」

それを聞いて、少し心が軽くなりました。


院長先生が入室されるとすぐ麻酔が投与され、悲しむ間も無く意識が遠のきました。

 

 

回復室に運ばれて少しした頃、ふと目が覚めました。

“痛いっっ”

下腹部に強い痛みを感じました。

以前の手術では痛くならなかったのに。

我慢できずにナースコールを押し、看護さんに痛み止めの座薬を入れてもらいました。


きっと陣痛は、比べものにならないぐらい痛いに違いありません。

でも赤ちゃんに逢うために耐える痛みと、お腹にいた赤ちゃんを失った時の痛みは、きっと感じ方が違うでしょう。

死産された方は、辛い上にもっと強い痛みがあるのだと思うと、心が苦しくなりました。

 


点滴が終わる頃に起こされ、待合室へ。

 

そしてすぐに内診室に呼ばれました

院長は帰られたようで、内診と診察は先ほど手術室にいた女医さんでした。

内診では止血用のガーゼを抜き、出血確認とエコー。

ガーゼを抜くのは相変わらず痛かったですが、何度も採卵や手術をしているうちに、だんだん慣れてきました。

出血量は少なく、エコーの結果も問題ないとのこと。

抗生剤と痛み止め、子宮収縮剤を処方され、終了となりました。

 

 

手術後の経過を診てもらうため、2週間後に再診の予約を取りました。

次に来た時には治験について先生としっかりお話できるよう、再度詳しく調べておこうと思いました。

 

 

 

以前手術を行った際は、双子の妊娠だったことや、途中経過が良かったことなどからショックが大きく、手術前に泣いてしまいました。

その時に比べて今回は、冷静に手術を受けることができました。

移植後の成長過程で危うかったこともあり、こうなる運命だったのかもしれないと自分の中で納得できている部分もあったからだと思います。

 

“これまで天国へ行ってしまった赤ちゃんたちのためにも、今できることに正面から向き合おう。”


自分たちがするべき事は何か、もう一度夫と話し合おうと思いました。

 

 

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8回目の着床と経過 ② →稽留流産 …そして一筋の光

 

 

妊娠判定後の経過の記録の続きです。

 

胚盤胞を2個移植(=二卵性双生児の可能性あり)→1個だけ着床→一卵性双生児?→片方が成長ストップ?

と、予想外のことが起こりました。


前回の時点では、

「元気な胎芽とは別の場所にもう1つ胎芽のようなものが見える…が、心拍はない。一卵性双生児だった可能性が高いが、経過を見てみないとわからない。」

と先生から言われました。


前回の記事にも書きましたが、一卵性双生児は片方の成長が止まると、もう片方も流産になる可能性が高いです。

ただ、片方の成長が止まったのが早期だった場合は、もう片方だけ成長することもあり得るそう。


心拍が動いている胎芽が無事に成長していることを祈りながら、一週間を過ごしました。

 

 

 

BT41/8w3d

この日は金曜でしたが、夫が有給だったので、私の仕事終わりに待ち合わせて一緒に向かいました。

「せっかくの有給だから、わざわざ来なくてもいいよー」と伝えたのですが、付き添ってくれました。

前回の診察で、夫も私と同じぐらい衝撃を受けていたみたいです。


覚悟を決めて内診台に上がり、エコーをしました。

恐る恐るモニターを見ると…


今回も心拍が確認できました!


カーテンの向こうから、

「赤ちゃんは元気に動いてますね!」

と先生の明るい声。


「良かった~!!」


全身の力が抜けて、思わず声が漏れてしまいました。

ダメだった時の心の準備はしてきたつもりでしたが、それでもエコーするまで本当に怖かったのです。


ただ、今回も胎嚢は平べったいまま。

胎芽は18.9mmに成長していたけれど、狭い空間の中で窮屈そう。

初めの移植で流産になった時、胎嚢が三日月型で成長しなかったため、その時のことが頭に浮かびました。

先生に聞いてみると、赤ちゃんは隅に寄っているだけで、空いているスペースもあるとのこと。

先生はあまり気にしていない様子でした。

 


その後、診察室で詳しく話を聞きました。

やはり一卵性双生児だった可能性が高いとのこと。

「心拍が止まっている方はかなり小さくなってきているので、今後成長している赤ちゃんに影響することはないでしょう。」と言われ、ひと安心しました。

また、赤ちゃんの手足が動いていたけれど、胎動が見えるというのはとても良い徴候とのこと。

山は乗り越えたようですが、これまでのこともあるので、もう少し経過を見ていきましょうと言われました。

 

まだまだ油断できないのはわかっていましたが、一週間不安と戦って過ごしてきた分、赤ちゃんが元気に成長している喜びを2人で存分に噛みしめました。

 

 

この頃から、悪阻の症状が悪化してきました。

気持ち悪くなる時が増え、空腹になると辛いものや酸っぱいものを食べたくなりました。

通勤のバスで酔うこともたびたび。

体調と経過が必ずしも一致しないことはわかっていましたが、辛さよりも嬉しさの方が優っていました。

 

 

BT49/9w4d

一週間後の土曜日。

前回よりはリラックスして受診したのですが…。

エコーをした瞬間、嫌な予感がしました。


胎児は25mmまで成長。

しかし、胎嚢の中にパンパンに詰まっていて、動いている気配はありませんでした。


「心拍が止まってますね…。赤ちゃんに浮腫みも見られます。」


前回と打って変わって、重たく響く先生の声。


ショックと同時に、心のどこかで “やっぱりね…” と納得している自分がいました。


待合室に戻り夫に伝えると同時に、長い戦いが終わった感覚がして力が抜けました。

 

 

その後、診察室に呼ばれて先生から説明を聞きました。

2~3日前ぐらいに成長が止まったと思われる。

胎嚢は小さめだけれど、これぐらいの場合もあるのであまり関係ないと思う。

赤ちゃんの浮腫みの原因は、今の時点ではわからない。胎児水腫や心臓病だった可能性もある、とのこと。


そして今後の治療について。

不育症の予防は、今行っているバイアスピリンとヘパリン以外に確実に効果のある治療法はない、とのこと。

以前も聞いていたので、理解していました。

 

それ以外に行えるとしたら『着床前スクリーニング』。

着床前スクリーニングは、移植する前に胚の染色体異常の有無を調べる検査です。

流産を繰り返す場合、流産率を下げるために有用とされています。

夫婦のどちらかに染色体異常や遺伝子疾患がある場合に行われる『着床前診断』とは異なり、倫理的な観点から日本産科婦人科学会が認めていないため、国内で公に行なっている病院は少ないとのこと。

ただこの方法は、胚の染色体異常による流産は防げるかもしれませんが、母体側に問題がある場合はあまり意味がないかもしれません。

どっちにしても、これまで避けてきた夫婦の染色体検査はしておきたいと思いました。


そして最後に…

現在、不育症の治療薬の治験が行われていることを教えていただきました。

治験とは、ある薬の候補が患者さんにとって効果があるか、安全に使えるかを調べたりする試験のことです。

何段階かに分けて試験が行われるのですが、紹介された時点で行われていたのは、治験薬か生理食塩液(お薬としての作用がない)のどちらか一方の点滴を受ける試験。

治験薬にあたる確率は50%であり、患者さんはもちろん、医師や製薬会社のスタッフも試験が全て終了するまでどちらが投与されたかわからないようになっています。

治験薬を投与した場合と投与しない場合の効果や安全性を比較するために行われるようです。

治験を受けるための条件は厳しく、行なっている病院も全国で数えられる程度。

自宅から通えるかどうかも鍵になります。


こちらの医院から紹介した例はほとんど無いようで、詳しく調べていただけることになりました。

 

 

胎児がある程度の大きさまで成長していたので、3日後に手術をすることになりました。

精神的ダメージは大きかったけれど、初めて聞く『治験』という言葉に、新たな可能性を感じました。

夫も会計を待つ間、すぐにスマホで検索。

情報がみつかりざっと確認したところ、私の場合は条件に当てはまりそう。

一筋の光が見えました。

 

 


そして、私たちはすぐに動きました。

新たな希望を持つことで、流産の悲しさを消し去りたかったのです。


自家用車がない私たちは、医院から出たその足でカーシェアに寄り車をレンタル。

治験を行なっている都内の病院まで車を走らせ、病院を見学。

翌日の日曜日も、残りの2病院をまわりました。

自宅から通えるか、どんな雰囲気か…。

 

その時すでに、2人とも治験に対して前向きになっていました。

 

これで終わりじゃない!

まだ希望はある!!

 

成長の止まった赤ちゃんをお腹に残しながらも、期待を胸に前へ進もうと意志を固めました。

 

 

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8回目の着床と経過 ①

 

 

妊娠判定の日は、仕事が休みの土曜日を希望したため、いつもより遅めのBT14に受診することになりました。

この2週間がとてつもなく長く感じました。

気持ち悪さや眠気、乗り物酔いは現れたものの、熱っぽさや胸の張りは全く感じず。

“どっちなんだろう”とそわそわしながら過ごしました。

 

 

 

BT14

いよいよ判定日。

夫と一緒に受診。

無事に着床していたとしても、いつもより判定日が遅いため、その分hCGが上がっていなければいけません。

2個移植したこともあり、いつもとは少し違う緊張感がありました。

 

待合室で落ち着きなく過ごしていると、呼出音が鳴り、診察室に呼ばれました。

ドキドキしながら入室。


差し出された紙には…


『 hCG  924.0 』


良かった~!!着床してた!


先生から、「hCGが上がっているので妊娠しています。まだはっきりとはわかりませんが、数値だけで判断すると、今回着床した卵は1個かもしれません。」

と説明がありました。

双子を妊娠した場合は、基準となるhCGの数値よりも遥かに高い値が出ることが多いです。

今回の数値だと、週数的に1個着床した時の基準値に当てはまるそうです。

後々流産になる可能性が高い私としては、2個着床していてほしかった…!

でもそんな贅沢は言ってられません。

1個でも着床してくれたことに感謝しようと思いました。


前回から始めたヘパリン注射は、今回も着床していたら使う予定でした。

前回はおそらく卵の染色体異常が原因の流産だったので、不育症対策のヘパリンはあまり意味が無かったことになります。

今回こそはヘパリンの効果が発揮されることを願いながら、医院を後にしました。

 

 

BT21/5w4d

一週間後の土曜。

エコーにて、約1cmの胎嚢を確認。

今のところ胎嚢は1つしか見えないけれど、まだかなり初期なので、今後もう1つ見えてくる可能性もあるとのこと。

hCGは5800。

1日1.5倍増えるとすると…少なくない?

2人どころか、着床した方の成長すら危ういのでは…?

先生に聞くと、赤ちゃんによってばらつきがあるので、気にしなくて大丈夫とのこと。

ただ、数値的に見ても、やはり今回は1人の可能性が高いと言われました。


hCGの低さに不安を感じながらも、赤ちゃんを信じよう!と自分に言い聞かせ、一週間を過ごしました。

 

 

BT28/6w4d

7mmの胎芽と心拍が確認できました!

先生に「心拍がはっきりと見えるので、今のところ順調ですね」と言われ、ほっとしました。

やっぱり双子ではなかったけれど、1人でも元気に育ってくれれば充分です。

今回胎嚢の大きさは測りませんでしたが、少し胎芽が窮屈そうに見えました。

エコーは断面を映しているだけなので、気にしなくていいとのこと。

どうか無事に成長していきますように。

 

 

BT35/7w4d

かなり平べったい胎嚢の中に、11mmの胎芽が見えました。

心拍も確認できたのですが…。


“成長遅くない?心拍弱くない?胎嚢狭くない?”

一気に色んな不安が駆け巡りました。


ひと通り確認した後も、先生が無言でエコーを続けているので、嫌な予感…。


胸が張り裂けそうになり、思いつくままに質問。 

「胎嚢の形が悪いんでしょうか?」


「いや、ひしゃげて見えるけれど、それは問題ないです。」

その後に、まさかの言葉が続きました。


「同じ胎嚢の中にもう1人いたようですが、既に心拍がありません。一卵性双生児だった可能性が高いです。」

 


……えっっ?!?!

今なんて?!


すぐには理解できませんでした。


頭が混乱する中、一度内診室から出て診察室へ。

先生は、紙とペンを用意して、絵を描きながら説明してくれました。


「胎嚢の中に、もう1つ胎芽のようなものが見えたけれど、正直今の段階では何かわからない。」

というのが答えでした。


考えられることとしては…

①一卵性双生児だったが片方の成長がストップ

②胎芽に見えたもう片方は、胎芽ではなく胎盤腫瘍など別のもの

③単に盛り上がって見えているだけ

 

今の段階では①の可能性が濃厚とのこと。


予想外の展開に混乱しながらも、なんとか頭を回転させて質問。

「①の一卵性だった場合、片方の成長が止まったということは、もう片方も止まってしまうんですか?」

現に前々回の移植で一卵性を妊娠した時、2人とも流産になってしまった経緯があります。

でも今回はかなり早期なので前々回とは状況が違う、とのこと。

片方だけ成長することもあると言われました。

(ネット情報によると、一卵性双生児でも7週ぐらいまでの早期の流産の場合、二卵性のようにバニシングツインが起こることがあるそうです。)

また、①の一卵性だとしても、心拍が見えない方の成長が止まったわけではなく、『無心体』という心臓がない(上半身がない)状態もあり得るとのこと。

可能性はかなり低いようですが…初めて聞く単語にドキリとしました。

 

 

いずれにしても、来週まで経過を見ないとわからないそうなので、またしても大きな不安を抱えたまま一週間を過ごすことになりました。

 

 

今回起こったことを冷静に考えると…

胚盤胞を2個移植(=二卵性双生児の可能性あり)→1個だけ着床→一卵性双生児?→片方が成長ストップ?

となります。

二卵性双生児を覚悟して行った移植で、まさかの一卵性双生児だったかもしれないと聞いて、本当に驚きました。

 

 

私はただ、元気な赤ちゃんを生みたいだけなのに…。

なんでこんなにもイレギュラーなことばかり起こるんだろうか。

 


心拍の見える胎芽が無事に成長してくれていることだけをひたすら祈りながら、一週間を過ごしました。

 

 

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次回に続きます。

 

 

恵愛生殖医療医院にて3回目の移植(計11回目)

 

 

流産後に卵巣が腫れていたため、治療を一ヶ月お休みしていました。

 


次の生理がきてD3に受診した際、卵巣の腫れは引いていたので、移植周期に入れることになりました。


前回の流産後にお話のあった、胚盤胞を2個同時に戻す件について、再度先生から説明を聞きました。

メリットは、片方が途中で流産になっても、もう片方が妊娠継続できる可能性があること。

流産による身体的・精神的負担を減らすことができるため、私のように流産を繰り返す場合には向いているようです。

ちなみに、片方が流産になったとしても、もう片方に影響することはないそうです。

デメリットは、双子になる可能性があること。

両方着床し、たまたま両方とも流産せずに妊娠が継続すると二卵性双生児になります。

この場合、多少リスクは高まるけれど、一卵性双生児に比べたらだいぶ低いそうです。


出産するまでのトラブルは増えそうだし、双子の子育ては大変そうですが、子供を2人授かれるのはとてもありがたいこと。


それに、最初に2個同時移植の話を聞いた時は、2個とも着床しなかった時のショックを考えて躊躇したけれど、別の周期に1個ずつ戻したとしても同じ結果のはず。


そう割り切ると、この方法を選ばない手はない!と感じ、2個移植したいと先生に伝えました。

 

 

今回も凍結胚盤胞を移植するため、ホルモン補充療法を行います。

病院の考え方にもよりますが、妊娠成立後も妊娠を維持するため、妊娠7週~9週頃まで続けることになります。

 

まずエストロゲン(卵胞ホルモン)製剤を使用。

内膜が充分な厚さに育ちエストロゲンの数値も上がってきたら、排卵日を設定し、その日からプロゲステロン(黄体ホルモン)製剤を追加します。

凍結胚は5日目胚なので、排卵日と仮定した日から5日後に移植します。

 

D3:エストラーナテープ開始

スケジュールに沿って初日は右側に、2日目は左側に1枚貼付。

貼付後1日置きに貼り替え。(常に計2枚貼った状態となる。)

D7:テープを2枚ずつに増やす(計4枚)

D9:テープを3枚ずつに増やす(計6枚)

D10:受診  内膜とホルモン値を確認

D11:テープを4枚ずつに増やす(計8枚)

D13:テープを2枚ずつに減らす(計4枚)

ルトラール錠とウトロゲスタン膣錠を追加

D17:移植

 

 

D10に受診した時点で内膜は10.9mm。

E2も 368.8と順調なので予定通り移植できるとのこと。

スケジュール通りD13からテープを減らし、黄体ホルモンを使用することになりました。

E2がいつもより低めなので心配でしたが、前クリニックで200以上なら問題なしと説明を受けていたので、気にしないようにしました。

 

 


移植当日。

たまたま土曜日だったため、夫と一緒に受診。


まずは診察室へ呼ばれ、先生から移植する胚盤胞についての説明を聞きました。

移植するのは3BA:5日目胚(Eeva:ES-1)と3AB:5日目胚(Eeva:ES-1)の2個。

卵は融解後に広がり良い状態と言われ、安心しました。

片方は最初少ししぼんでいたけれど、徐々に広がってきているとのこと。


移植後の妊娠判定は、判定日となるBT10前後が仕事が休みの土曜日に被らず、平日の仕事終わりに一人で来るか迷いました。

でもやっぱり2人で結果を聞きたいと思い、少し遅めのBT14の土曜日に受診することにしました。

 

 

移植はいつもと同じ流れで進められました。

今回は移植する順番が2番目だったせいか、あまり待たずに呼ばれました。

移植前にモニターに映し出された胚盤胞は、診察室で見た写真よりも中身が膨らんでいるように見えて、嬉しくなりました。

移植は2個同時に行われたようで、2個戻したという実感の無いまま終了しました。


安静室で一時間ほど横になりましたが、昨晩たっぷり寝たせいでほとんど眠れず。

途中から身体がほてるのを感じました。

良い徴候なのか、たまたまなのか…。


また体調を気にする日々が始まるなぁと感じていました。

 

 


移植した翌日、他県に住む夫の友人ご夫婦の家へ遊びに行きました。

そのご夫婦は、私たち夫婦と同様に不妊治療を行い流産を繰り返した結果、お子さんを授かりました。

私より年上の奥さんは明るくおおらかで、柔らかい雰囲気の方。

私の治療や流産のことを聞き、以前から気にかけてくれていました。

同じ経験をされた方だからこそ話せることも多く、全て理解しながら聞いてもらえることがどれだけ心地よくありがたいことか、気づくことができました。


そして前日移植したことを伝えると…

なんと!

このご夫婦も同じ日に移植したのだそうです!

いつのまにか2人目の妊活を開始していたようです。


奥さんはもともと正社員で仕事をしていましたが、流産が続くため、思い切って仕事を辞めたそうです。

その後すぐに1人目を授かり出産したため、流産の原因は仕事のストレスだったと感じているそう。

仕事をしていない今は、2人目の妊活をとてもゆったりした気持ちで行えている様子でした。


私は仕事をやめて家にいる方がストレスが溜まり、結局また仕事を始めたので、本当に人それぞれだなぁと感じました。


今回の移植で自分が成功することはもちろん、これまで同じように苦労されてきたご夫婦のもとにも、新たな幸せが訪れてほしいと心から思いました。


“お互いうまくいきますように”


そう願わずにはいられませんでした。

 

 

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判定日以降は次回に続きます。

 

 

 

ぎりぎりの状態

 

 

今日は診察の日でした。

 

何度も記事に書いていますが、妊娠6ヶ月から子宮頸管が短く、自宅で絶対安静の状態が続いています。


一度夜中に腹痛が起こり、切迫早産と診断され入院したものの、安定したためその後退院しました。


しかしそれ以降も、再入院になるかどうかの微妙な状態が続いていて、受診のたびにひやひやしています。

 

最近は、寝る時以外は骨盤ベルトを装着し、子宮頸管が短くならないよう祈りながら過ごしています。

 

 

そして、骨盤ベルトが功を奏したのか…

今回も入院を免れました!


危うい状態に変わりはないですが、有無を言わさず即入院というレベルではないようです。

先生から、入院するか毎週来るかどちらか選んでと言われ、自宅安静を選択しました。

そのため一週間後、また受診です。

往復のタクシー代2万5千円は痛いけど、通院を選んだのだから仕方ない!

残り少ない夫とふたりだけの生活を、一日一日大切に過ごしたいと思います。

 

予定日まであと2ヶ月。

なんとかこのまま持ちこたえてくれるといいなぁ。

 

 

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母の出産

 

 

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36年前の雪の降る日、私は父と母の子供としてこの世に生を受けました。


そして1つ下と5つ下に妹が生まれ、3人姉妹の長女となりました。


両親からは、3人とも特に苦労せず授かることができ、大きなトラブルなく出産したと聞いていました。


これまで当時のことをあまり詳しく聞く機会がなかったのですが、2ヶ月後に出産を控え、ふと自分が生まれた時のことを聞いてみたくなりました。

 

 

 

当時としては結婚が遅かった母は、29歳で結婚してすぐに私を授かり、順調な妊娠生活を送ったとのこと。

当時は30才以上の初産が『高齢出産』とされていて、どうしても29歳のうちに出産したかったそう。

希望通り30歳の誕生日目前に出産予定だったのに、その日を過ぎても産まれる気配がなくて焦ったそうです。

「もういつ産まれても大丈夫だけど、いつ頃産みたい?」と先生に聞かれ、「誕生日までには産みたい」と答えた母。

それに合わせてなんらかの処置をほどこしてもらったそうです。


念願叶い、母が30歳になる2日前に、私は産声をあげました。

 

 

現在は、高齢出産とされる年齢が35才以上に引き上げられましたが、私は今年36才のため高齢出産となります。

でも、無事に出産できるなら世間的にどう言われようが全く気になりません。

性別に関しても、元気に生まれてくれるならどちらでもいいと思っています。

 

よく「◯才までに生みたかった」とか「◯月生まれがよかった」、「女の子がほしかった」という声を耳にしますが、妊娠が順調であればあるほど、それ相応の欲が出てくるのかもしれませんね。

 

 


そして、私の誕生から11ヶ月後。

年子の妹が誕生しました。

出産のスパン短かっ!

なんて羨ましい妊娠率!!

「2人目は産道ができているので安産になりやすい」とよく聞きますが、まさにその言葉通り。

とてもスムーズな出産だったそうです。

 

 

そしてそれから3年半後。

末っ子の妹が生まれました。

末っ子がお腹にいる時、私たち2人は遊びたい盛り。

母は自分の身体を気遣う余裕もなく動き回っていたそう。

もともと体育会系でアクティブな母は、家族旅行でスキーに行った際、妊娠8ヶ月にもかかわらず滑っていたそうです。

それを聞いて思わず「嘘でしょー?!」と驚き笑ってしまいました。

歩くことも制限されている今の私からしたら、考えられません。


末っ子はお腹の中で元気に母を蹴りまくっていたようで、産まれてくるまで男の子だろうと言われていました。

挙げ句の果てに逆子で出産。

今なら逆子は帝王切開になることも多いですが、自然分娩で安産だったようです。

 

 


そんな母は、まさか自分の娘が妊娠でこんなに苦労することになるとは思ってもみなかったはず。


自然妊娠できないとわかり、高度不妊治療をすることになり、流産を繰り返し、いざ成功したかと思えば切迫早産で絶対安静…。


自分の出産では感じることのなかった不安を、今更経験させてしまうことに。

 

母のようになんの苦労もなく妊娠し、順調に出産することは、当時としては普通のことだったのだと思います。

時代が変わり、晩婚化や生活環境の変化に伴い妊娠や出産が困難になる人が増えているとは言え…

いわゆる『ハッピーマタニティーライフ』とは無縁の生活を送る私にとって、その『普通のこと』がとても羨ましく感じます。

 

 

65才になってもあり余るほどのエネルギーを持つ母は、私の代わりにベビー用品を揃えたり、料理を作って送ってくれたりします。


実家の近くに住む祖父母にご飯を届けたり病院に付き添ったり、週の半分以上はミニバスのコーチとして子供たちとコートを走り、毎日忙しい母。

少しは休んでほしいと思うのですが…。


元気なうちは頼れるだけ頼ろうと思っています。

 

 

 

実家から私の住む街まで、新幹線を使っても片道4時間かかるのに、心配になるとすぐに「そっちに行こうか?」と口走る母。


「今は大丈夫だから出産する時に来てほしい」と伝えているのに、電話口ではいつもそわそわ。


私も子供が生まれたら、その気持ちがわかるようになるのかな。

 

無事に孫を抱かせてあげることだけが、今の私にできる親孝行だと思って、ひたすら安静に過ごそうとがんばる今日この頃です。

 

 

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